2008年9月4日木曜日

カタカナ



  外国人にとって、カタカナは難しい。なんだかどれも似ているように見えるかららしい。「ワ」と「フ」、「ソ」と「ン」、「シ」と「ツ」などのように。子どもたちも、以前習ったようだが、忘れてしまっている子が多かったので、マリンガに住む日系シニア隊員の先生にいただいたプリント(写真)を使って復習してみた。自分でカタカナを見つけて、色ペンで枠取り、終わったらその中にひらがなを書いて、覚えたか確認。枠取りしながら、色も日本語で勉強できて、一石二鳥だった。
 
  Katakana é muito dificíl para estrangeiros, porque cada letra são similares. Mesmo meus alunos tendo aprendido Katakana eles esquecem. Uma professora que mora em Maringá me deu exercicios para que eu podesse ensinar Katakana. Meus alunos refazeram Katakana com estes exercicios pintando com canetas coloridas. Então eles puderam aprender cor em japonês também. Matamos dois coelhos de uma cajadada.

2008年8月31日日曜日

マリンガ地区の"お話大会”


お話大会が終わった。
長い一日だった。

 朝8時に集合,受付をし,8時半から開始のはずが,始まったのは9時半。面白いのが,8時過ぎから「カフェしてください」といわれ,朝食が用意されていたこと。
 5歳以下の部から始まり,6,7歳の部,最後は16歳の部まで。「お話大会」だから「お話をする」のかと思っていたが,歌もあれば,俳優顔まけの演技もあり,熱く熱く訴えかけるような子までいた。・・・レベルが高かった。
マリアルバの子供たちは,みなイソップ物語などを短く要約したものばかり。後から,それだとインパクトが少ない,とアドバイスを受けたが,あとの祭り。それでも,6人の子がパラナ大会に進出することが出来た。
 初めの挨拶で,「お話大会が行われるこのマリンガ地区に生まれたことを幸せと思って欲しい」と言われた。そして「移民200周年記念でも行われることを願っている」と。マリンガの日系人は家庭で日本語を使う家が多く、お話大会の激戦区。お話大会にも親が積極的に指導するから,先生も下手なことをいえないほどらしい。だから,気合の入れ方が全く違った。やはり親の意識を変えないと,200周年の時,マリアルバで日本語が話されているかどうかは怪しい。シニアの先生も終わりの挨拶で,「これだけ日本語がみなさん話せるのですから,もっと生活でも使っていきましょう」と話されていた。マリアルバの父兄の方々はこの言葉を聞いてくれただろうか。次回の父兄会でもう一度伝えたいと思う。

2008年8月26日火曜日

アボガドジュース


 ベルの家からもらった丸いアボガドが熟れたので、牛乳と凍ったバナナでミキサーに。これはエクアドルでよく道端で売られていたbatidoというミルクシェイクのようなもの。エクドルでは生バナナと氷を入れるが、バナナを凍らせば保存できるし、ミルクシェイクが水っぽくならないので、家ではいつもこうしている。日本では高価なアボガド。思う存分、ここでアボガドジュースを作って飲みたい。

2008年8月25日月曜日

親の想い

 今週日曜日に“お話大会”がある。物語を丸暗記して発表するのだが、嫌がる子が多く、そのため学校に来ない子もいる。このマリアルバ日本語学校では、強制的に全員参加。2,3分の話を意味もわかっていないのに丸暗記させられ、発音まで直されては、うんざりするのは当たり前だ。私はこの“お話大会”の意義がわからなかった。そこまでして強制的にさせる必要があるのか、と今日の父兄懇談会で問うてみると、あるお父さんが「強制的にしなければ子供たちは誰もやらない。子供たちが一生懸命日本語を話そうとする姿を見ることがうれしいし、大変でも義務にしなければこの伝統は廃れてしまう。」と答えた。また、「日系の子供たちが集い、語り合うことがうれしい」と。だから、非日系は入れられないと。他の父兄もみな同意見だった。今学校に通っているのはだいたいが日系3,4世。家庭ではほとんどがポルトガル語。父兄懇談会もポルトガル語。それでも、日本語を廃れさせたくはないという気持ちに矛盾を感じたが、それでも“日系日本語学校教師”という職種で派遣されたからには、矛盾を考えるよりも、どのようにしてこの伝統を守っていかなければならないかを考えないといけないんだろうなあ・・・と思った。

2008年8月24日日曜日

ブラジル移民100周年&マリアルバ入植70周年



今日は、ブラジル移民100周年&マリアルバ入植70周年の記念碑の落成式が行われた。
同日に日系の方の告別式も行われたため、参加者が少なく、
記念碑に書かれてある文を読むように頼まれた。

記念碑に掛けられていた緑の幕がさっと取られ、
いざ読もうとしたら、「100週年」となっていて、多少動揺してしまったが、
何事もなかったように読み上げた。
みんな漢字の間違いには気づかず喜んでいたので、
言いそびれてしまった・・・。

記念碑を建てた場所を「日本公園」と名づけるらしい。
そして、ブラジルでは「日本」=「鳥居」らしい。
今までブラジルのどこの日本祭りに行っても、
大きな赤い鳥居が堂々と入り口にそびえていた。

赤いバスガイドのような女の子たちの格好については、
触れることができなかった・・・・。
とにかく、青空の中、気持ちがよかった。

2008年8月23日土曜日

手作りおあげ


 ああ、有り難い。生徒のお母さんからいただいたおあげ。本当に、日系の方たちは何でもお家で作ってしまう。厚あげほどではないが、日本のあげより分厚い。だから、フライパンで焼いて、からし醤油で食べてみた。日本の裏側でこんなおいしいあげが食べられるなんて。エクアドル時代とは雲泥の差。ああ、至福の時だった。

スキヤキの日




4月から10月ごろまで毎月一回文化協会主催の”スキヤキ”が行われる。R$15 で食べ放題。
今日がその日だった。
町でも、「今週土曜はスキヤキだね」と何人かのブラジル人に声を掛けられるほど。
ブラジル人にとっては、楽しみの恒例行事らしい。

朝8時から婦人会の人たちが野菜を刻みだす。
ゴミ袋ほどの大きさのビニール袋に刻まれた野菜が入れられる。(写真1)

午後5時過ぎに準備完了。
そして午後6時半にはまた集合し、7時からお客さんが入ってきた。
日系人よりも圧倒的にブラジル人が多かった。(写真2)

列を成し、特大鉄板から好きなものをどんぶりおわんに自分でよそう。(写真3)
しっかり味がついているのにもかかわらず、たれをじゃぶじゃぶかけていく人も少なくない。

日本の私の家のスキヤキと違うのは、
バターを入れることと、やきそばの麺を入れること。
ブロッコリーやカリフラワーも日本では入れない気がする。
(ちなみに私の家族は、最後にお餅をいれる)
ブラジル人はこのやきそばの麺が大好きで、
麺しかよそわない人もいた。

このスキヤキで文化協会は運営資金を稼ぐ。
455人が食べに来て、売り上げはなんとR$5000!
最後はビンゴゲームで盛り上がり、終わったのは夜11時半。

それでも「今日は入りが少なかった」とみなさんボヤキ気味だった。


¨SUKIYAKI¨ se faz cada mes desde abrir ate setembro.
Custa R$15.00 e pode comer todo que gosta até que não queira comer
Hoje foi esse dia.
As mulheres da ACEM preparavam das 8 da manhã.
Prepararam tudo as 17;00.
Os clientes começaram entrar á Acem das 19;00.
Os brasileiros vieram muito mas que Nikkeis.